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50歳で無職、定年まで残り10年で30年間勤めた会社を無念の退職

公開日:2015年10月13日


悩む中年男性
30年間勤めた会社を、50歳になった時点で退職しました。

正しく言えば、退職に追い込まれたのです。

自分がリストラされるのか?…、半信半疑のところもありましたが、実際にそれが現実でした。

家のローンも残っていおり、経済的な面でこれからの生活を考えると『絶望感』しかありません。

この記事はそのときの本当につらいときに書いたものです。


私がリストラ対象者に。つらすぎる時間の始まりでした

私のような体験はしないで、誰もが会社規定の定年を無事に迎えて、円満退社を望んでいることは間違いないでしょう。

父の世代では、会社はよほどのことでない限り途中退職せず、定年まで勤めあげることが常識と考えられていました。

終身雇用や年功序列式の昇進、長期に勤めることにより環境が良くなっていくとよく話していました。

新社員のときに、いろいと面倒をみてやった部下が、数年後には上司になっていた、これも今は常識の時代です。

世情も大きな波がおしよせ、バブル現象、そして崩壊、世界に大打撃を与えたリーマショック、株式の暴落、新卒者の就職難時代、経済の不安定な状況が長期間続いた時期もありました。

50歳で雇われの立場としては、一つの分岐点の年齢です。会社の経営状態や経営者の考え方、会社からの評価によって、今後の自分の人生が決まるのです。

結果、50歳になった時に自分の居場所があるのか、それとも無いのかで人生は大きく変わってきます。

勤めていた会社は完全な親族オーナー会社で、長男の社長と次男の専務の兄弟二人で実務運営を取り仕切りっており、この二人とも私が入社以来の上司ですから、30年間一緒に仕事をしてきた事になります。

仕事の内容は入社以来営業職一筋で、35歳で管理職という立場を与えられ、営業職としての目標の達成や、私自身、そして所属部署ともに仕事は安定していました。

会社自体としての業績も良く、私としても居心地の良い時もありました。

しかし、ある時期、経営者側の態度が変わってきたのです。

経営者の社長と専務の二人からの自分への風当たりに今までになかった違和感を感じ、それから約半年が過ぎて完全にパワハラ化状態になったのです。

それが、日々とエスカレートしてきて、「会社には不必要な社員になってしまったのか?」と思うようになったのもこのときです。


退職に追い込みたい会社側。パワハラもさらに強烈に…

これが私の本音であり、会社側からのリストラ対象の通告、まさしくこれが事実でした。

今まで飲食や旅行などで一緒に遊んでいた社員達の態度も変化してきて、完全に孤立化した状態です。

30年間勤めてきた会社なので、正直未練はあります。

50歳の年齢では再就職先を探すとしても簡単にはみつからないでしょう。

私と似たような状況をインターネットでみても、数十社、数百社を応募したが面接で通らないということが書かれています。

面接までたどりつけばまだいい方で、履歴書を郵送した段階で断れる事例もかなり多いとのことです。

特別な資格や特技の無い私にとっては就職先が簡単にみつかるとは思えません。

会社に残ったとしても人間としてきっと壊れてしまうでしょう。

頭の中は「退職」、「無収入」、「再就職」がたえす駆け巡る状態です。

会社にしがみつき在職を続けるか、退職するかの二者択一

『残るも地獄、去るも地獄』の究極の選択に追い込まれました。』

分岐看板

若いときであれば、躊躇なくさっさと会社を去る事ができたでしょう。

しかし50歳の私には養っていく家族もあり、住宅ローンもありで、まだまだこれからも収入が必要です。

会社を辞めたあとどのようにして収入を得ていくのか、この年齢で新たに就職活動をするのか、自分が起業できるのか…と、考えることがたくさんありすぎです。

もう私の頭の中は完全に混乱状態になってしまいました。

会社員として毎月普通に給与を貰い、税金や保険の支払いについても、会社の給与からの天引きで、私自身その知識が皆無でした。

家庭に全額給与を入れ、その中から毎月の小遣いとして貰うかたちでしたから。

実際の家庭の預金額や、毎月のお金の収支額のすらわからないという、わからないことと不安で完全な鬱状態になってしまいました。

三ヶ月間、経営者側からのパワハラを度々受けながらも、仕事は仕事としてやってきましたが、精神的にもとうとう限界になり会社を辞める決心をしました。


不条理ながらも、自己都合での退職届提出…そして受理

リストラでの退職なのですが、会社側は自己都合というかたちで退職させて、満足でいることでしょう。

私自身が、とにかくこの会社から離れたいという気持ちで一杯になってしまったことでの結果ですから。

納得のできない気持ちはとても大きいのですが致し方ありません。

提出した退職届が事務的に受理されて、正式に退職日が決まるとやっと解放されるという気持ちになり安堵感を感じることができました。

退職日が正式に2ヶ月後と決まったので、これからは引き継ぎやお得意先への挨拶、それと有給休暇の消化も含めたスケジュールを立てての最後の仕事になります。

もうこの時点では、経営者側からのパワハラも無くなり、私自身も割り切れた気持ちになりましたので一日一日が充実してました。

そして、その期間も一段落して残り1ヶ月は有給休暇を適当に使い必要なときだけ出社するかたちにしました。

出社しても、一日中仕事をするのではなく、必要なやることだけをして帰るということです。

営業職でお世話になったお得意先の方々から会食のお誘いを頂き、それが一日の仕事の主体でした。

お得意先の方々はいろいろと心配をしてくれたり、相談を受けてくれたりと、人の温かみを久々に改めて感じ受けることができました。

営業の仕事で、仕事柄、人の表情を観察して何を考えているかを想像することが染みついてしまっていたのでしょう。

上司の人間性と本性がみえて、人間不信に陥りました

私が経営者からパワハラを受け、信頼していた直属の上司は自分自身に火の粉が降り掛かってくるかもしれないという不安から、私との接し方も変わりました。

手のひらを返したようにでしたから、もう完全に人間不信になってしまいました。

消化中の有給休暇が残り一ヶ月をきった頃が、精神的には一番辛かった時期でした。

用事がある時にだけ出社して、をの用事が終われば就業時間には関係なく帰るとういう、自由な生活スタイルになり、もう会社でのパワハラや仕事で悩むこともないのに、なんで「精神的に一番辛かった時期」だったのか…

今までの会社生活のなかで普通に顔を合わせていた社員達との別れです。

長い間、会社で同じ仕事をしてきたので、何十年も顔を合わせてきた仲ですし、私は営業の仕事をしていたので、社外においてもお得意先等でいろいろな方々と関わりをもたせていただきました。

パワハラをした経営者と、手のひらを返した上司以外の、社員達と社外のお得意先の方々との別れが精神的に一番辛いことでした。

会社に残るも地獄、出るのも地獄

自分で出した結論ですから、後ろ向きはここまでにしたい…と、思います。

会社はこれからもっと非情になっていくかもしれません、心配です…

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